英語の発音を勉強していると、最初は「通じるかどうか」ばかり気になります。自分の声が英語らしく聞こえているのか、相手に意味が伝わるのか。そこが一番不安なので、大きな間違いを直すことに意識が向きます。
でも最近は、大きな間違いよりも、小さな違いのほうがあとから効いてくる気がしています。母音の開き方、息の出し方、最後の音をどこまで残すか。ひとつひとつは細かいのに、全部が重なると、聞こえ方がかなり変わります。
たとえば、文字で見れば知っている単語でも、音で聞くと一瞬わからないことがあります。原因をたどると、単語そのものを知らないのではなく、自分の中にある音の形が少しずれていることがあります。頭では覚えているのに、耳の中の登録名が違う、という感じです。
このずれに気づくと、少しへこみます。今まで覚えたつもりだった言葉が、実際の声では別の顔をして出てくるからです。でも同時に、ここを直すと聞き取りが伸びるんだろうな、という手応えもあります。発音練習は、話すためだけではなく、聞くための練習でもあると思うようになりました。
昔の私は、発音をきれいにすることを、少し見た目の問題のように考えていました。上手に聞こえるかどうか、英語らしく言えるかどうか。もちろんそれも大事です。ただ、今はそれ以上に、正しい音を自分の耳に覚えさせる作業だと感じています。
自分で出せない音は、聞き分けるときにもぼんやりします。反対に、一度口で試してみた音は、次に聞いたときに少し輪郭が立ちます。発音練習をしたあとに同じ音声を聞くと、「あ、ここで息が出ている」とか「最後は思ったより軽い」と気づけることがあります。
英語太郎で音声を並べるときも、この感覚は大切にしたいです。日本語訳を読んで終わりではなく、音を聞いて、口の中で軽くまねして、もう一度聞く。完璧な発音を目指すというより、耳のピントを合わせるための時間にしたいです。
小さな違いを気にし始めると、勉強が細かくなりすぎる心配もあります。だから、全部を一度に直そうとは思っていません。今日はこの母音だけ、今日は語尾の息だけ、今日は短い相づちだけ。ひとつだけ気づけたら、それで十分だと思うようにしています。
発音は、急に完成するものではないと思います。聞いて、まねして、違和感を持って、また聞く。その繰り返しの中で、少しずつ自分の耳が英語の形に慣れていく。小さな違いほど、あとからじわじわ効いてくる。今日はそんなことを考えながら、同じ音声を何度も聞き直していました。