英語の音声を聞いていて、今日は全然入ってこないなと思う日があります。昨日は少しわかった気がしたのに、今日は同じような速さでも言葉が流れていく。音は聞こえているのに、意味になる前に通り過ぎてしまう感じです。
そういう日は、勉強が戻ったような気持ちになります。前に進んでいたはずなのに、急に足元がゆるくなる。単語も文法も見たことがあるのに、耳だけが追いつかない。英語を続けていると、この小さな落ち込みは何度も来ます。
でも最近は、聞き取れない日を失敗だと決めつけすぎないようにしています。聞き取れないということは、少なくとも聞こうとしているということです。前なら全部がひとつの音のかたまりだったものを、今は「ここがわからない」と感じられる。その時点で、耳は少し細かく働いているのかもしれません。
実際、まったくわからないと思った音声でも、二回目に聞くと短い言葉だけ拾えることがあります。三回目には語尾の感じが残ることもあります。意味を全部取れなくても、声の上がり下がりや間の置き方だけが先に体に入ってくることがあります。
語学の勉強は、できた日だけが成長の日ではないと思います。うまく聞き取れなかった日にも、耳は音の形を見ています。今日は意味まで届かなかっただけで、音の通り道は少しだけ作られている。そう考えると、同じ音声をもう一度流す気力が戻ってきます。
私は、聞き取れないときほど文字を見たくなります。答えをすぐ確認したくなるし、安心したくなります。それも悪くないのですが、最近は少しだけ待つようにしています。まず音だけで一回、わかるところに印をつける気持ちで聞く。それから文字を見る。最後にもう一度、音に戻る。
この順番にすると、文字が答え合わせだけではなく、耳を助ける道具になります。最初に聞こえなかったところが、文字を見たあとで急に立ち上がることがあります。「あ、この音がこの文字だったのか」とつながる瞬間です。その瞬間は、聞き取れなかった時間が無駄ではなかったことを教えてくれます。
英語太郎の練習ページも、そういう使い方ができる場所にしたいです。聞けた人だけが進むページではなく、聞けなかった人がもう一度戻ってこられるページ。速さを変えて、文字を見て、また音だけで聞く。できない日を責めずに、音に慣れる時間を積み重ねられる場所にしたいです。
今日は、聞き取れない日でした。でも、何も進まなかった日ではなかったと思います。拾えなかった音の中に、次に拾える音の準備がある。そう思えるだけで、英語との距離が少しやさしくなります。